星のお姫さま

好きなことだけ。

「彼女が好きなものは」

人生初めての抜歯がものの数十分で終わってしまい、時間を持て余した私は、未だ唇が痺れているというのに映画館に来ていた。
なんと言っても今日は月曜日。auマンディ課金勢である私にとって、映画鑑賞にはうってつけの日であった。


元々劇場版マクロスを見たかったのだが(そのために1ヶ月かけてマクロスΔを一気見した)、あれよあれよという間に上映数が減ってしまい、時間が丁度よかったし、先行上映されていた「彼女が好きなものは」を見ることにした。


原作は浅原ナオトの「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」。2019年にはNHKの夜ドラで「腐女子、うっかりゲイに告る」という題名でドラマ化しているよう。この題名には私も聞き覚えがあった。調べると、丁度明日までの期間でネトフリにあったので見てみることに。ていうかこれ、映画公開に合わせて配信期間延ばすべきなんじゃないだろうか。

 

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同性愛者であることを隠して日々を過ごす男子高校生・安藤純と同級生の女子・三浦紗枝が主人公だ。三浦は小学生の頃、好きな漫画の主人公が表紙の本を買うが、それが同人誌だったことから腐女子への道を歩むことになる。よくあるよね。私は母親の隠し本棚から商業BLを見つけてから片足突っ込むようになったなあ。
安藤にはネットで知り合った既婚の中年男性のパートナー・誠さんがいて、蜜日を重ねていた。自分が同性愛者であることに悩む中、Twitterで知り合った同性愛者のファーレンハイトとのDMが、心の拠り所になっていた。


私これ特に前情報無く観に行ったら、メチャクチャタチ顔の翼くん出てきて最後まで動揺していた。いつの間に芸能界復帰してたんだ、、、?知らなかったけど、相変わらずカッコイイしイイお声されてるよね〜〜〜タッキーに弄ばれたあと翼くんに拾われる妄想ならもう何回もしてます。


ある日三浦が本屋でBL本を買おうとしているところに、安藤が遭遇する。中学時代、腐女子だということがバレて虐められていた三浦は、自分が腐女子だということを誰にも言わないで欲しい、と安藤に頼み込む。趣味がバレた三浦は、安藤が約束を絶対に守るよう、オタク友達の姐さんからの入れ知恵でオタク活動に安藤を巻き混んでいく。
その中で次第に安藤に惹かれていく三浦。安藤もまた、三浦に惹かれている自分と、男にしか反応しない身体とで揺れていた。「彼女が好きなのはホモであって、僕ではない」そう言い聞かせ、浮かれそうになる心を必死で抑えつけていた。
三浦と安藤と、安藤の幼馴染の高岡亮平の三角関係とか、ザ高校生な小野雄介の横槍とか色々あるんだが、遊園地の観覧車で三浦は告白し、晴れて2人は恋人同士になる。

 

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安藤は、恋愛対象は男であったが、同時に家庭を持ちたい、子供が欲しいという願望の間で揺れ動いていた。女手ひとつで自分を育ててくれた母親・安藤みづき(山口紗弥加)に孫を見せたいと思い悩む 安藤は、三浦となら自分も「普通」になれるかもしれない、と淡い期待を持ち始める。
しかし、三浦と身体を重ねようとした時に無反応だった自身に、やはり自分はゲイなのだと思い知る。
そして、ダブルデートの最中にファーレンハイトの死を知り動揺する。デート現場に居合わせた彼氏の誠さんに事情を話し、キスしているところを三浦に見られてしまう。ショックから激怒する三浦に対し、「好きなんでしょ、ホモ」と冷たく言い放つ安藤。しかし、わかっていたのだ。彼女が好きなのは自分であって、ホモでは無い、と。

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遂に、三浦にカミングアウトし、謝罪する安藤。それを裏で聞いていた小野は、三浦で自分の気持ちを試したことに激怒し、その勢いで亮平含め、バスケ部の皆がいるところで「安藤がホモって知ってたのかよ?!」と叫んでしまい、あっという間に噂が広まってしまった。
何も知らない安藤は、登校すると心無い言葉が投げかけられ、自分がゲイであることが知れ渡っていることに落胆し絶望する。それを知った亮平は、学校を飛び出した安藤の元へ駆けつけ、ゲイであることは関係なく、安藤自身が好きなのだと伝える。亮平と共に学校へ戻った安藤だったが、体育の着替えで一悶着起こってしまう。なんとしてでも庇おうとする幼馴染の亮平を他所に、小野は「気持ち悪い」「出て行け」と追い討ちをかける。こちら側に生まれてきてしまったことを悔やみ悩んでいた安藤は、自分を責め続けていた。小野の言葉に、その通りだ、と肯定をしてから、教室の窓から飛び降りて自殺を図ってしまう。


一命を取り留めた安藤の元には、亮平と三浦が見舞いに来ていた。安藤の自殺未遂の一件で、学校内では性的指向に対するディスカッションが行われたことを報告した。偏見は無い、と話すクラスメイトが多くいる中、小野は「理解した気でいるだけだろ」と冷たく言い放つ。それを聞いた三浦は、自分もそうだったのかもしれないと恥じた。三浦は、安藤のことを心から知りたいと思っていることを改めて伝える。安藤も、三浦の好きなものを知りたいと伝え、2人は無事に恋人同士に戻った。
退院も近い日、安藤は大阪へ転校することを三浦に伝える。それを聞いた三浦は、最後に一度だけ学校に来て、自分の作品を見てほしいとお願いする。美術部員である彼女の作品が、コンクールで表彰されたのだ。
表彰式ももうすぐ終わるという頃、安藤は体育館に現れた。賞状をもらった三浦は校長からマイクを奪い取り、全校生徒相手に自分の身の上話をし始める。三浦は、安藤が周りと距離を取っていたのは、傷つかないよう自分を守る為ではなく、それを知った周りの人たちが動揺しないようにする為であると、皆に伝えた。泣き崩れる三浦を、壇上に登って慰める安藤。小野も嫌々ながら謝罪し、和解する。(実は安藤の入院中に小野も病院の近くまで来ており、泣きながら謝っていたのだった。)


ファーレンハイトの遺言であった、「墓参りに来てほしい」という願いを叶えるため、静岡に出向いた安藤と三浦。21歳の大学生であると言われていた彼は、実は中学生であった。Twitterプロフィール画像は、ファーレンハイトが心を寄せていた従兄弟のものであると分かり、彼の母親はこれまでのことを話し始めた。
告白された従兄弟が相談したことで、家族は息子が同性愛者であることを知り、病院に連れて行ったのをきっかけに引き篭もってしまったのだった。


全てが終わった帰り道、私たちの関係も終わりにしようと話す三浦。安藤が初恋では無いと、念を押した三浦の表彰作品は安藤がモチーフになっていた。題名は「初恋」だった。

 

 


見終わった直後の感想は、「私が中学教師であったなら、これを全校生徒に見せていただろう」というものだった。
摩擦をゼロに、抵抗は無しとする。これは安藤純が、周りとうまく共存するために心掛けていたことだった。人は皆、簡単な方に答えを持っていくものだ。難しいことは考えず、いつだって世界の普通に当てはめて考えようとする。自分の身近な人が、もしカムアウトできずに思い悩んでいたら、どう声をかけるのが正解なのか。正解なんて多分、無い。関係性やタイミングで変わってくる。それでも考えざるを得なかった。理解した気でいた自分を恥じた三浦の気持ちが痛いほどわかる。でも、本当はシンプルなことのように思える。自分の好きなことを、好きだと言えることそのものが、きっと絶対尊いのだ。

 

ドラマではQueenの曲をBGMとして多用しており、所々でフレディが引き合いに出されていた。夜ドラやっていた当初はボヘミアン・ラプソディーで沸いていた時だったみたいだし、これはこれでアリだった。逆に、映画はそれを全く出さず、映画ならではの世界観を作り出していたのではないかと思う。

その他にもサラッと見ただけだが、ドラマ版と映画では同じようで要所要所違うところがある。

まず、安藤の恋人である誠さん。ドラマでは所謂「不倫している既婚者子持ち」という感じだが、映画での誠さんは優しさが滲み出ていて、心から安藤に惹かれているという印象であった。安藤と別れる時も、引き留めることはできなくても特別であったことを真摯に伝えていた姿がとてもよかった。翼くんの人柄が出ていたなあ。
あと、安藤の幼馴染の高岡亮平。ドラマでは安藤の彼女の三浦に好意を寄せており、その色が濃く出ているが、映画では安藤の理解者であり、2人を誰よりも応援していた。いい子だ、、、。
ドラマだと割と安藤は自嘲的な表現が多く、小野を煽るような言葉遣いが目立つ。ファーレンハイトの恋人が、エイズを患って余命宣告を受けた際の家族の反応とか、ありきたりだけどリアルで心を抉られる。
ドラマの方が原作に忠実なようだし、まあ、本当はそれくらいドロドロしてるよねぇ。


長々と書いたけど、結局、「自分の普通ってなんなんだ?みんなの普通ってなに?」っていうことを問いかけてくる作品だったのではないかと思う。誰が好きとか好きじゃ無いとか、そういうことでカテゴライズすることもできるんだろうけど、カテゴライズすることに何か意味があるのだろうかと考え直すことができた。
ドラマ版で三浦が言った「好きなものを好きだって言える時間が、1番好きだな」という言葉が印象に残った。
私は、ブルーピリオドのユカちゃんが言っていた、「自分の好きだけが、自分を守ってくれるんじゃないのかな」という言葉が好きだ。その通りなのだと思う。でも、その好きが世間の普通じゃなかったら?理解されない好きは自分を守ってくれないのではないか?そう、考えたことがないわけではなかった。だから私は、自分の趣味をひた隠しにしていたし、わかってくれる人だけがわかってくれればいいと思っている。わかってくれても、共感を求めないように気をつけている。
それでも25年生きていると、たまーに、共感し合える友人に巡り会えたり、文字書きの趣味を尊敬し応援してくれる人に出会えたり、する。そんな人を、わたしは大事にしたいし、誰かを不意に傷つけないように、常にフラットな価値観で生きていたいと強く思う。


安藤が母親にカミングアウトした時に、「孤独死するイメージが抜けない」と吐露していた時は、思わず胸が痛んだ。私も同じことを考えることがあったからだ。そんなことを考えてしまうようなこの世の中がおかしいのかもしれない。夫婦別姓同性婚性教育の遅れなど、問題を上げたらキリがない。自分が人生の分岐点に立たされた時、何かが変わっていたらいいと思う。


ただ、最近この手の内容を題材にした作品が多く出ていて、その度に「特別扱いされている」ことに違和感を感じてしまう。例えば、月9でストレート以外が題材にされても特に取り立たされることのない世の中が、いつの日かくるのだろうか。監督も言っていたけど、この作品を特別なものにするとかではなく、いろんな人が見て、何かを考えてくれたらいいんだと思う。それが特別なことで無くてもいいんだ、きっと。


この作品がいろんな人の元に届いて、見た人が何か思うところが有れば、世界は今より素敵になるはずなのだ。分かり合えたとき、人はずっともっと優しくなれると、わたしは信じている。

 


さーーてと!大好きなCPの同人誌が届いていたので、ゆっくり読んで、大好きな世界に浸ってこよーっと!